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ルーツの欠片

父の名前は青木三七男。
母の名前は北村元子。
俺は二人の子供、青木吾朗。

初めに言っとく!
俺は変な歴史マニアじゃない!!笑
しかし、ずっと自分の中で思っていた『なんでだろう?』
が少しだけわかった様な気がした。

昨日、青木のじいちゃんとばあちゃんは
俺にアルバムを見せながら青木家の先祖の話をしてくれた。

1550年頃、岩手県の盛岡市。
戦国時代、上杉謙信の兵法を学んだ権威者

栃内与兵衛(とちないよへい)

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この人が青木家の先祖にあたる。

その後、女の子ばかりが生まれ跡取りに苦労するが、
養子をとり、血は下へと受け継がれていく。

1880年頃、岩手県の釜石市。
その血を受け継ぎ、今でいう学校の校長をしていたのが

栃内泰吉(とちないやすきち)
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当時の貴重な1枚。

釜石市というと今回の地震で多大な被害を受けた地域の1つ。
実はこの当時もとてつもなく大きな地震がこの地域を襲ったんだそう。
その震災の避難中、国民が絶対的な物とした御神体(天皇の写真)を
1人取りに戻った泰吉は、そこで津波に巻き込まれ命を落とした。
その後、栃内の血は枝分かれし、その1つが青木家になる。さらに進み・・

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この写真は俺の曾じいちゃんと曾ばあちゃん。
抱かれているのが、俺のじいちゃん。

じいちゃんが赤ちゃんって
なんか不思議な気分だよ(笑)

当時は1920年頃だろうか。
曾じいちゃんが早くに死に、良い暮らしから一転
貧乏な暮らしになったが
曾ばあちゃんは函館の朝市で野菜を売ったりして
女手1つで一家を支えたそう。

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手前ね。ちょっとおちゃめな曾ばあちゃん。

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99歳まで生き、死ぬ間際までタバコをプカプカ吸っていたとか。

その後二人の子供である
青木のじいちゃんは戦争に行き
その後、捕虜としてロシアにあるシベリアという極寒の地で
強制労働させられる。
仲間が次々に死んでいく中で、運良く生きて帰ってこれたじいちゃんは
ばあちゃんと出会い、結婚した。

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二人とも素敵だねぇ。それにしても若い・・・!!

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今と変わんない笑顔

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じいちゃん、髪が・・・(笑)でもこれだけ格好よけりゃ充分。

そして二人から産まれたのが、俺の父さんだ。
俺の父は、函館では有名なラガーマンだった。
敵を翻弄するステップをきることから
『ステップの三七男』と呼ばれていたらしい。笑
そうばあちゃんは笑って話してくれた。
その後、父は東京の大学へ行くつもりが、行かず
函館で18歳で就職し、函館で出会った母さんと結婚した。
そして産まれたのが俺と一平だ。

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母さんあどけない。笑

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父さんナイスなメガネだな。笑

そして俺らが大きくなって

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今こんな感じです。

左が俺で、右が一平です。

って誰だあんたら!! 冗談で使ったらまずかったかな。笑

しかし歴史って面白い。
正直、先祖がどういう人だったかなんて
今生きてる俺には必要ないけど、こうやって知ったことで
先祖と自分の命の繋がりが見えてくるんだから。
じいちゃんがシベリアで死んでたら、ばあちゃんが他の人と結婚してたら
父さんが東京に行ってたら、母さんが教師やってなかったら
俺産まれてないもの。

みんなついつい自分1人で生きてる気になるけど、本当は・・・

それと、歴史をみてもウチが教員家系なのは間違いない。
父の兄二人は二人とも校長先生。母さんとその妹も、学校の教員。
どうりで俺も、教師というか人を育てる職業を無意識に求めるわけだ。
でもきっと血が枝分かれする中で
先祖には性格悪い人も、盗人も、恋に狂った人も、人殺しもいたと思うし
色んな人がいたと思う。
その色んな血が少しづつ混じって、俺がいるんだろうね。
まぁそれは大なり小なりみんな同じだけど。

ブログで書く事じゃないけど、凄く後悔していることがある。
これから友達関係、仕事、何が必要かを全部整理するつもり。
後悔してももう遅いけど、ずっと嫌な思いをさせて、我慢させて、本当に悪かった。

話戻す。

父方の青木のじいちゃんは今年88歳。
耳があまり聞こえないけど、大きな病気もせず元気でいる。
母方の北村のじいちゃんは若くに亡くなり
俺は会った事がない。
いつか北村家のルーツも知ってみたいと思う。

そんな訳で、じいちゃんばあちゃん
素敵な話と素敵な写真、ありがとう!

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コメント

いやいやいやwww
なんか歴史を感じるね
でも吾朗も十年、二十年先にはこの人達と同じように
どんどん歴史を作ってくんだよね。
まあ誕生日おめでとう

投稿: 漆黒のアフロK | 2011年4月 4日 (月) 19時13分

吾朗と一平の赤ちゃんってこんなに意外と可愛いんだね。でどうだった実家のお父さん、お母さん元気だった?。

投稿: りゅうせい | 2011年4月 4日 (月) 21時13分

こんなに古い写真あるなんて、いい暮らししてたんだな
きっと先祖さん(*^^*)

面白い歴史ありがとう笑

自分うちの歴史とか全然しらないから、うちも今度きいてみるわ!

吾朗は先生って職には向いてたと思うよ。
あっまえにもいったか笑
まぁ盗人のほうがむいてるか


投稿: まいこ | 2011年4月 4日 (月) 22時39分

2年間お疲れ様でした
本当にいろいろな事があったと思います
大変な仕事ですよね、なかなか出来る事ではないと思います

いろんな想いがあると思いますが、その一つ一つがこれからの人生の肥やしになるのではないでしょうか

それはきっと、子供達も同じだと思います
一緒に過ごした日々は財産になるはずです

お疲れ様でした

投稿: 通行人 | 2011年4月 4日 (月) 23時29分

to 漆黒のアフロK

そうだ~どんな歴史になるのやら。
それはアフロも同じ事だぞ??(^^)/
コメントありがとう!!

投稿: goro | 2011年4月 5日 (火) 02時00分

to りゅうせい

父も母も元気だったよ。
てか意外とは失礼な奴だ。笑
こんな時代があったんだよ俺にも。
りゅうせい、小卒の区切りに昔の写真見るのもなかなかいいもんだぞ?(^^)/

投稿: goro | 2011年4月 5日 (火) 02時07分

to まいこ

むいてねーわ盗人に笑
先祖はいい暮らししてたかもな。
じいちゃんばあちゃんからは普通だが
でも普通が1番だよな。
そして俺は毎年名探偵コナンの劇場版を家族で見に行くような家庭が理想だ。笑
聞いてねーか
先祖、今度聞いてみな~

投稿: goro | 2011年4月 5日 (火) 02時16分

to 通行人

ありがとうございます!
そう言ってもらえて嬉しいです。
この経験を糧に頑張ります!

投稿: goro | 2011年4月 5日 (火) 02時20分

誕生日おめでとう~
30なんてあっという間だよ、覚悟しておけ~笑
青木家のルーツ・・その家の歴史は受け継がれていくから兄弟でご先祖様に恥じないように継承していいってくれよ~

投稿: kanyu | 2011年4月 5日 (火) 22時36分

to kanyu

ありがとうございます!!
もう目前ですね~30。
今んとこ青木家と北村家に恥じる行為の方が目立つけど、自分らしく継承していくつもりです。笑
頑張りますっ

投稿: goro | 2011年4月 6日 (水) 02時06分

栃内 泰吉の写真我が家にもあります。
栃内泰吉の子供4姉妹の長女真喜の子孫です。
栃内本家は、次女があとを継ぎ子孫が東京にいます。
4女、達ばあさんは、長野の寺沢に嫁いで、後に函館に移りました。その長女が、わたくしの祖母です。
真喜は伴家に嫁ぎその長男は、私の祖父 伴 庄右衛門です。
私は、その長男の英夫の長男 用一と申します。
同じ栃内泰吉の写真があるのでびっくりしました。
たぶん栃内家三女ろくおばあさんの子孫ではないかと思います。
栃内 泰吉の石碑が釜石に有るということですので
一度は、行ってみたいと思っています。

投稿: 伴用一 | 2021年6月 7日 (月) 10時16分

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